カステラづくりの心

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引き釜の誕生

日本初。上下の火でカステラを焼く引き釜の誕生


■昭和34年頃まで使用されていた引き釜

 南蛮菓子の伝来と共にその製法も日本に伝わりました。またカステラを焼くために、日本独自のオーブンともいえる「引き釜」が生まれました。

 引き釜は、上下の火で焼く天火のようなものから発達したと思われます。それは、カステラを焼くことによってもたらされた調理革命ともいうべきものでした。

かつて昭和30年代まで福砂屋では「丸釜」・「炭釜」と呼ぶ「引き釜」で炭火を用いて、一品ずつカステラを焼いていました。焼き加減を見ながら鉄板を2枚、3枚とかぶせたり、カステラのふくらみに合わせ中枠を乗せたり、炭を集めたり、散らしたりしながら、火加減を調整し、約1時間かけて焼き上げる、これもまさに職人芸とも呼ぶべき「手わざ」です。現在も尚、「手わざ」を継承しております。

 カステラ専用の電気釜が使われるようにより、それぞれの工程を流作業とする製造方法が主流となっていく中、ひとりの職人が全工程に関わり、責任を持つことであくまでも職人の「手わざ」を守り、伝えていこうとする事が、私ども福砂屋の姿勢です。